砂漠と落とし穴。

人生などい価値のナイものだと多くの人達が結論づける。僕もああそうだなとその結論を受け入れつつもやはり生きてしまっている。人生など価値のないモノだとわかっていても、かといって自殺したい欲求などないし、そうしようとも思わない。それは楽しい時を過ごしている時ほどそう思う。しかし、人生に価値などナイのだ。100歳まで行きようと、ホリエモンの様に財に囲まれていようと、死というモノは確実に訪れ、これまで自分が持っていた生を、一片の残骸も残さず消してしまうからだ。まるでブラックホールの様に生は否定される。その事実を僕達は、楽しい時は充実してる時ほど麻酔にかけられたように忘れてしまう。忘れなければいけないのだ。かといって生きる意味を否定する気にはならない。それを否定してしまうと人間は生きていけないからだ。人は死という終焉を麻酔を打つことで忘れ、生をむさぼる。砂漠のようなまっ平で真っ暗闇の道を、口笛吹いてでも楽しんでいる。しかし、その道の端に在るものは死という落とし穴である。その落とし穴は1メートル先かもしれないし、40㌔先かもしれない。しかし、それは確実に訪れるのだ。このサイトの名前はめめんと森 -memento mori(死を忘れるな)ー である。死は生の一部であり、生は死の一部ではナイ。生は有限であり、死は無限である。そのような事実を前にして、僕達はいかに生を生きるのか。それが問題である。多くの有名小説家は「漠然とした不安」のうちに自らの命を絶った。自殺は思考の中断であり、卑怯な逃亡であるという言葉を三島由紀夫は語り、後に自らの命を絶った。幸せになる方法。語る技術。国際政治。親友。セックス。家族。交渉力。学歴。容姿。綺麗になる方法。ダイエット。祖先。自分。その他多くの物事は、死によってやがてないものとして扱われる。麻酔を打ち、まっというな人生を送るのか。麻酔を打たず、常に恐怖と失望感の内に人生を満たし死んでいくのか。多くの人は -俺を含めー 後者を選ぶ。なぜなら生きてしまっているから。そして、死の実態を誰も知らないから。だれも知らない真っ暗な部屋のノブを回したくはない。しかしながら、全ての人はすでにその部屋の前にいる。そして、そのノブに手をかけている。俺はそういう漠然とした不安の中で、今日も麻酔を打ち、いつ回すかもしれないノブに手をかけ、もしくはいつ落ちるかもしれない落とし穴に向って歩き続けている。こういう事を考えている俺がバカなのか、考えていない人がバカなのか、しかしこういう問いも、死という事実の前には全く無意味なものとして俺の目には映る。さて、どうしたものか・・・。そう考えつつ、今日も俺はまっとうな人生を歩もうとしている。砂漠のど真ん中で、がむしゃらに口笛を吹いて楽しんでいるフリをする。
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by mementojo | 2004-09-28 09:40
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